こちらの「LUIGIのイタリアンポップス」シリーズは、イタリアのポップス(カンツォーネ)に詳しく、日本でバンド活動もされていらっしゃるLUIGIさんが、イタリアの60年代に流行したカンツォーネを紹介してくださいます!
ゴールデン・ヘルメットの少女
彼女の声は、それまでの概念では「悪声」とされた声質かも。
ギラギラというかギャラギャラと聞こえるハデな倍音と、その陰に芯の太い基音を持っている感じ。
1960年代半ば、イタリアン・ポップス界も、米英から押し寄せるロックミュージックの勢いは、当然感じていた事でしょう。
いち早くロックミュージックそのものに手を染めた若者もいたと思いますが、多くの人の耳はカンツォーネ(歌謡曲)の味わいを、簡単には捨てられなかった事と思います。
ある時期、サンレモのようなイベントにも、ロックティストを意識した、あるいはロックとの融合を試みるような新曲が寄せられたのではないかと思うところがあるのです。
カテリーナはモンキーズ、ローリング・ストーンズなどをカバーして歌っており、米英寄りの嗜好もあったのでしょう。
イタリアではポップスシーンであっても、歌手は「歌に集中します」とばかりにアクションは控えめで、衣装やステージ背景もシンプルな構成が多い(現在でもその傾向は残っている)ように見られるのですが、彼女は違いました。
「ゴールデンヘルメット」と呼ばれた金髪のボブヘアで決め、男勝りに元気に弾けて歌う彼女は、女性ボーカル・シーンに新風を吹かせたのかもしれません。
彼女の活躍は短い間でしたが、大げさに言えば彼女の歌を通してカンツォーネの変遷を見た気がします。
あくまでも私個人の思いですが...
1曲目 Nessuno mi può giudicare (1966年)サンレモ音楽祭入賞曲
この曲は本来アドリアーノ・チェレンターノのサンレモ参加曲、音楽祭の会期と彼の都合が合わなくなり、代わりに彼女が歌って一躍人気となり、実質的なメジャーデビューとなりました。
La verità mi fa male lo so それ言われちゃアタシへこむ、解ってるよ。
La verità mi fa male lo sai それ言われちゃアタシへこむ、解るでしょ。
Nessuno mi può giudicare nemeno tu 誰もアタシを責められないよ、アンタだってね。
思いっきり異訳ですが、ノリとしてはこんな感じ?
元カレ(元カノ)との二股だった事がバレたのかね。
「でも、もっとずーっとアンタを愛してるよ」と訴えています。
元は男性が歌うはずの歌詞。
急遽女性に歌わせるために歌詞の中の性別表現句の語尾を入れ替えただけだったと思われます。
この詞の状況設定、男性の歌なら、まー古今東西ありそうな話。
それを女性が歌った事は、当時斬新だったらしい。
「私にだって言わせて欲しい」と発言できるようになる、歴史的潮流のきっかけになったという評価も、後のイタリアにはあるようです。
ビートの効いた曲ですが、ズン・タタ・ズン・タンとかドン・ドン・ドン・ドンというアタマ(強拍)ノリのリズムは、以前からのPOPSにあったように思います。
サビ部分はツイストの感じ、チェレンターノにならお似合いのリズムかな。
私の印象ではまだロックの感じではなく、以前からのリズムで出来てる曲の印象です。
2曲目 Il cammino di ogni speranza(1967年)サンレモ音楽祭参加曲
それぞれの希望の歩みは、立ち止まったとたんに、霧のように消えていった
私に勇気と希望を与えてくれた貴方の声は、風に吹かれて飛び去った...
若干違訳ですが、アイナ先生、こんな感じでも良いでしょうか?
当時のヨーロピアン・ヒッピー・ムーブメントに影響を受けた内容の詞なのだそうで、失恋系の詞のようだけど、主観的な恨み節などではなく、青春群像を総合的かつ俯瞰的に(どこかで聞いたなー)描いた詞のように思います。
この曲ではAメロがドン・ド・ドンというビート。
サビからリフレインはドン・ドンという頭ノリのリズムで終わりまでひたすら押し続けます。
この頭ノリ・リズム、当時としてもちょっと古くさいリズムにも感ずるのですが、この頃のカンツォーネではしばしば聴いたノリのように思います。
このリズムが当時イタリア人に好まれたのであれば、それはロックティストの迫力に対抗しうる力感として好まれたのかな?
米英のポップ・ロックとはちょっと違う、独特の迫力とスケール感はカンツォーネの特徴のように思いますし、私はカテリーナの曲の中ではこの曲が一番好きです。
そして更に念の入ったことに、ドン・ドンのリズムの中に三連符のリズムを隠し味に忍ばせています。(三連符の深堀りはリンク先の余談で記す事にします)
3曲目 Ninna nanna (Cuore mio) (1971年)サンレモ音楽祭入賞曲
ご存じの方も多いと思いますがNinna nanna(ニンナ・ナンナ)は子守歌のこと。
優しく包み込まれて傷ついた心を癒やされたい...
そんな意味で、Ninna nannaは失恋の歌詞にしばしば現れるようです。
所属するレコード会社の重役と、玉の輿結婚をしたカテリーナさん、トレードマークのゴールデンヘルメットもやめちゃいました。
(この曲、変わった曲調でサビに向かいますが、リンク先の余談で深掘りしてみます)
さて、この曲のサビで、いよいよ当時流行りの米英式ロックアレンジが登場します。
16分音符でボコボコと、やたら手数多く弾きまくるベース!
流行りましたねー。
どいつもこいつも、世界中で猫も杓子もボコボコ...日本でも...
「また逢う日まで」1971年、尾崎紀世彦
本来ならギターのつま弾き伴奏が似合うフォークのデュオ、シモンズの「恋人もいないのに」までにも乱入してボコボコ、ドラムスもドカドカ。
シモンズ 『恋人もいないのに』 1971年
今聴くと、「やり過ぎ、似合わねぇなー。」
草の根バンドでベースを弾き始めた私としては、この忙しいプレイを真似出来ない「やっかみ」も含めて、「私にゃ、こんなベーシング、要らないっす」。
ちなみに後年のライブシーンがこちら。
シモンズ-恋人もいないのに 1997年8月
私にとっては、この曲はこちらのアンサンブルで必要かつ充分なように感じました。
清々しく無垢な印象の素材(曲)に、編曲という後付け作業で、あれもこれもと盛られた厚化粧は、似合っていたのかな? 皆さんはどう感じました?
また脱線してしまった。
押し寄せるロックの波に反応するカンツォーネを時系列でみたつもりで、強引な結論だけど、Ninna nanna では確かにロックアレンジとの融合をみたのではないかと思います。
またこの時系列の考察には当てはまりませんが、Insieme a te non ci sto più (1968年)(オルネッラ・バノーニもカバーしています)や、Perdono (1966年)など、カテリーナは私の好きな曲を多く残しています。
彼女は1970年半ばでほぼ現役を退いたようですが、その後は「玉の輿妻」などではなく、多くの新人歌手を発掘するなど、家業のレコード会社で手腕を発揮してるそうです。
今回紹介した、Il cammino di ogni speranzaとNinna nannaには余談があります。
今回の余談は、私にとっては「すっごく面白い」のですが、他の方にはどうでしょう。ここまで読んで頂いただけただけでもありがたい話であります。
余談に興味のある方はコチラへ。
この記事を書いた人
LUIGI

あと何年かで6回目の廻り年になる、イタリアのポップス(カンツォーネと呼ばれた)やイタリアンカルチャーファンの爺さんです。
最近、終活を意識するようになり、人生での「やり残し感」を思う事が多くなりました(いっぱいあるけど)。
そんな時、イタリア語会話講座の広告が目にとまりました。
意識の底にイタリアンカルチャーへの関心が残っていたからか?
何か少し近づけるような気がして習い始めました。(学生の頃は勉強が、特に外国語は大の苦手でしたが)
会話を習ううち、イタリアンポップスの歌詞に興味が湧き、アイナ先生にお願いして歌詞の翻訳も習うことになりました。
もう少し詳しい自己紹介はコチラ。興味がある方は覗いてください。
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