ヴェネチア 鳴り続けるサイレンの音 人魚の街で

2019年の歴史的アクアアルタを克明に記録した映画のトレーラー。「サイレン(人魚)の街」
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不死鳥 ヴェネチア

現在のヴェネチア(左)と、300年前にカナレットの描いたヴェネチア(右)

ヴェネチアに住んでいた時、訪れる日本人の観光客がよくこう言うのを聞いた。

「綺麗で、洗練されているというより、親しみやすい感じだね。」

美しく高貴でありながら、訪れる人をなんとなくホッとさせる街並。

それは単に、古いからだろうか。

ヴェネチアを一枚の絵画に例えると、画面全体が酸化して黒ずんでいる。

絵具も剥げ、何度も修復されている。

しかし、その絵を何百年も前に描いた画家は、最高の技術と美意識を以って、長い時間を費やして描いたのだ。

その美と技は、どれほどの時間を経ても、人々を魅了し続ける。

修復を繰り返しては形を維持することは、油彩画であればよくあることだ。

2018年には、死後400年近く経つカラヴァッジョの作品展が札幌など日本の3都市で開かれた。

修復によって、絵としての生命を保ち、命の気を吹き込まれ続けてきたのである。

歴史的な建築物や壁画も同様だ。

ヴァチカン市国にある、システィーナ礼拝堂などには、近年では1日2万人の観光客が訪れることもあったという。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂にフレスコ画を描いてから500年も経つと言うのに、彼は死後もヴァチカンのお財布を潤し続けている。

しかし、絵や建築ならまだしも、街全体が昔の姿をそのまま生き続けるのは難しい。

それは、私の今住んでいる札幌を例にとってもよくわかるだろう。

私の知る30年程の間にも、街並みはどんどん変化していった。

札幌の街は、100年前はどんな風景だったのだろうか。

近所にあった素晴らしい日本家屋が取り壊されて、マンションに変わり、歴史的な建築物を残そうという市民の取り組みにも関わらず、破壊されていく。

だが、ヴェネチアの街並みは、100年前の写真を観ても大して変わっていない。

それどころか、300年前のカナレットの絵を見ても、ほぼ今と同じ外観である

多くの都市が便利さのために古い建物を壊していく中で、ヴェネチアは壊さなかった。

東洋のヴェネチア

   「東海道五十三次 日本橋」安藤広重 浮世絵木版画       「泰平江戸絵図」部分/天保13年、1842年

昔は江戸と言われた東京の町も、ヴェネチアと同じ水の都であり、水路が町中を駆け巡っていた。

また、大阪の街も「東洋のベニス」と呼ばれるほど、水路が街中に張り巡らされていた。

ヴェネチアは壊さなかったのに、どうして東京や大阪は水路を埋め立て、こんなに様変わりしてしまったのだろうか?

それは第一に、日本は車社会に移行することを選んだからである。

実は、ヴェネチアも水路をいくつも埋め立てている。

船ではなく、徒歩がヴェネチア内での交通手段の主流になったので、歩いて行き来しやすいように変わっている。

また、たくさんの橋も追加された。

土台が補強できない場合は、石でなく木を使って、軽い橋が作られた。

ヴェネチアに石の橋と木の橋があるのはそういう訳で、現在は合わせて438の橋がある。

橋を渡るのは不便だが、水路を全て埋め立てることはできない。

全て埋め立てれば、水の強さを受け流せなくなり、ヴェネチアはあっという間に海の底に沈むだろう。

水の力は埋め立てた土地を押し流してしまうので、その力を分散させる必要がある。

水の力を分散した上で、一つ一つの島も、土が水に流されないようにレンガで固められている。

そして更に、道の角や建物の下の部分は、水に強いイストリア石で覆われている。

それでも時間が経つと、レンガは潮の満ち引きや船のモーターの動きにより、水の力で削られ、経年劣化したレンガの間から浸水してしまう。

そこで、定期的に運河の出入り口を堰き止め、水を抜いて建物のレンガを補修し、レンガとレンガの間のモルタル部分を撥水加工にするための注入を行うのだ。

レンガの間の傷んだモルタル部分を、水を通さないように加工注入する
出典@publisher = 2021 Venice Backstage Insula spa
title = Venice backstage
url = http://www.venicebackstage.org/en/

呼吸するラグーン

黄色い3つの口から、ラグーンの水が出たり入ったりする。
出典@publisher = 2021 Venice Backstage Insula spa
title = Venice backstage
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ヴェネチアは、海をさえぎる堤防のような、細長い島々に囲まれている。

この堤防の中の浅瀬を、ラグーンという。

ラグーンの水は、島と島の間の3つの隙間から、潮の満ち引きに伴い、1日2回外海の水と入れ替わる。

この隙間が細いので、風の影響で排出されない水の量が増えすぎ、近年どんどん激しさが増すアクアアルタ(高潮による洪水)も起こるのである。

そもそもヴェネチアは、人工的に作られた島である。

沼地の上に丸太を大量に打ち込み、基礎を作っているため、「ヴェネチアを逆さまにすると森になる」と言われる。

その人工的な124の島の集合体の中を駆け巡る水路は、水が1箇所で滞らないようになっている。

流れが集中すれば水の勢いで建物が壊れるかもしれないし、逆に流れが悪ければ、水が腐って伝染病などの原因にもなるからだ。

18世紀のヴェネチア共和国崩壊まで、命綱である「水」の管理の責任者だったのが、「水の行政官」だ。

その就任式には、彼は民衆の前に立たされ、元首はこう言う。

「この者の功績を褒め称えよ。それにふさわしい報酬を与えよ。しかし、この責任重い地位に相応しくない場合には、絞首刑に処せ!」

この「水の行政官(Magistrato alle acque)」が、近年多発するアクアアルタによって再注目され、このような責任者を再設することを要望する声もある。

モーセ計画

アクアアルタの時、ラグーンとアドリア海をつなぐ3つの口を、この装置でふさぐ
出典@フリー百科事典「ウィキペディア(wikipedia)」
title = モーセプロジェクト
url = https://ja.wikipedia.org/wiki/モーセプロジェクト

しかし今のところ、アクアアルタの対策として政府が巨額の予算を当てたのは、モーセ計画である。

その総建設費はなんと約55億ユーロ(約7千億円)で、2020年にやっと完成した。

メンテナンスにかかる費用が年間1億ユーロ(約127億円)だという。

初めてモーセが稼働したのは去年の10月だったが、その際はうまくいき、モーセの壁の外は120cmのところが、内側は70~75cmまで抑えられた。

しかし、そのすぐ後のアクアアルタでは、モーセは動かずヴェネチアは再び水の下に沈んだ。

それもそのはず、稼働にかかる費用が一回30万ユーロ(約3800万円)なのだ。

アクアアルタの回数は毎年増え続けており、2019年は110cm以上の大規模なアクアアルタだけでも26回に昇った。

この巨額の費用をかけ続けていくことが、果たして持続可能な対策となりうるのか。

しかも、この計画に日本の企業が関わっているというのだが、私は決して誇らしい気持ちにはなれない。

水路は子どもの遊び場

先に、100年前の写真を観ても街並みは変わらないと書いたが、実は1950年のヴェネチアの映像を観ると、現在との違いに愕然とする部分もある。

町並みは変わらないのだが、子供たちが水路で泳いでいる(上動画2分30秒以降)。

昔は、潮の満ち引きに伴い、運河に流れた下水も新しい水と入れ替わった。

そこで、水がキレイになったタイミングを見計らって、子供たちは運河で水泳を楽しんだのだ。

しかし、現在のヴェネチアを訪れたことがある人であれば、いくら入れ替わったとしても、その水がとても泳いだりできる質ではないことを知っているだろう。

ところが、コロナ禍におけるロックダウン中のヴェネチアの水質は改善され、沢山の魚が泳ぐようになった。

観光客がおらず、近くの工業地帯から汚染水が流れて来なければ、水質は劇的に改善するのだ。

私はもちろん、50年前のヴェネチアなど知る由もない。

しかし、昔のヴェネチアを懐かしむ人たちの声は、私の心にもすっかり馴染んでしまった。

学校の窓から、水に飛び込む子供たち。

女たちは道端に机と椅子を出し、時にご飯を食べ、内職をする。

隣人たちとお喋りしながら。

学生たちは卒業式にリアルトの橋から水に落とされる。

満月の晩には、蟹の大群が道を埋め尽くした。

カーニバルも、今のようには観光客がいなかったので、若者は仲間と一緒に仮装をして、得意なら音楽や踊りを披露し、異性にアピールする機会でもあった。

こんな話を聞くと、ヴェネチアの住民が失ったものの大きさが分かる。

ヴェネチアという街の容れ物は変わっていないのだが、中身はだいぶ違うのである。

商店も、昔は日用品の店だったものが、土産物店ばかりになってしまった。

人間はディズニーランドに住めるだろうか?

電気の通り道

出典@publisher = 2021 Venice Backstage Insula spa
title = Venice backstage
url = http://www.venicebackstage.org/en/

しかし、このアンティークな容れ物にも、電気やガス、電話線、水道管などが通っている。

一体どこにあるのだろうか?

それは、足下の道の下にある。

だから、道の補修をする際には、それらの管をついでに新しくするのだが、ヴェネチアは124の島の集合体である。

一体どうやって、島と島を繋いでいるのだろうか?

実は、橋の中を通っているのだ。

だからたまに、ガスの工事中だからと橋が封鎖されている、ということもある。

下水管は、多くの場合、建物の基礎部分から運河に流されている。

とはいえ、ただそのまま流すのではなく、多くの場合、建物には浄化槽が設置されており、汚泥(固形物)を沈殿させて汚染物質をなるべく取り除いてから、運河に流すようになっている。

汚泥はその後、汲み取り船がやってきて、持っていく。

しかし、もちろん排水が完全にキレイになっている訳ではなく、潮の満ち引きでも堆積物は完全には流れ出ていかない。

すると、運河にはヘドロが溜まっていく。

そこで、何年かに一度は運河の出入口を塞き止め、清掃する必要がある。

この運河の大清掃の際には、水の底からテレビや冷蔵庫が出てくることもあったそうだ。

これを怠ると、水深が浅くなり船がヘドロに乗り上げてしまったり、ヘドロが下水口を塞いで排水できなくなったりする。

しかし、モーセ計画などに財源が使われ、ここ数十年は、この運河を堰き止めた形の清掃が十分に行われていない。

地球温暖化の影響で、近年はアクアアルタ(高潮)だけでなく極端な低水位も起こっており、この清掃がされていない小さな運河では、ゴンドラなどが乗り上げる事態を招いた。

鳴り続けるサイレンの音

2019年の歴史的アクアアルタを克明に記録した映画のトレーラー。「サイレン(人魚)の街」

2019年のアクアアルタは、海抜187cmまで昇り、ヴェネチアにとって大きな痛手だった。

本や版画やアート作品などが水浸しになり、売り物にならなくなった。

図書館の貴重な本は、洪水の後に一枚一枚修復が施された。

レストランの大型の食洗機や家電製品、ソファーなど、壊れた大型ゴミが広場に積み上げられた。水上バスは島に乗り上げ、石造りの美しい欄干は崩壊した。

建物の下水管が破裂し、中にあった沈殿物(糞便)が建物に逆流し何メートルも床が糞便まみれになった建物もあった。

度重なる浸水に加え、観光に偏って日常生活が不便になっていることもあり、1951年には17万人以上いた住民は、今や5万人ほどに減っている。

しかし、これまでのヴェネチアは、「持続可能な」都市構造を持っていたことは間違いない。

1600年もの間、常にメンテナンスを繰り返しながら、この変化する世界に適応し続け、その機能を維持してきた。

水という生命にとって不可欠な資源に依存し、活用し、それに抱かれて存在し続けることを選択したことが正しかったとしても、その海を汚染し、水温を上昇させた人類の愚かさを真っ向から引き受けることにもなったのである。

上の「La città delle sirene(サイレン(人魚)の街)」のトレーラーでは、アクアアルタ の時のサイレンの音が聴ける。

ぜひ、聴いてみて欲しい。

家の中で、不安な気持ちで聴くあのサイレンの音。

それは、まるでセイレーン(人魚)の呼び声である。

そして、人魚の街となったヴェネチアの、あまりの美しさに息を飲む。

Venice Backstage. Come funziona Venezia? from Insula spa on Vimeo.

Venice Backstage. How does Venice work? from Insula spa on Vimeo.

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