ヴェネチアのカーニバル 春を待つ四旬節の前に 美少女コンテストと美味しいお菓子とどんちゃん騒ぎ

ヴェネチアといえば、カーニバル。

カーニバルは毎年1月の終わりから2月の初めにかけて行われるのに、ヴェネチアのお土産物屋さんには一年中仮面が置いてある。

特に目を引くのが、白い鳥のクチバシのような仮面だ。

Paul Fürst, Der Doctor Schnabel von Rom (coloured version) 2

出典@Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

これは、ペスト専門の医師(Il medico della peste)が、17世紀に実際に身につけていた防護マスクのレプリカである。

マスクには穴が開いているので呼吸ができるが、中にハーブを詰めたり香水を垂らしたりして、浄化した空気を吸え・・・るかどうかは置いておいて、吸おうとしたようだ。

今年はカーニバルがなくてもみんなマスク(mascherina)をつけているが、賑やかな方のマスク(maschera)は当分お預けだ。

カーニバルの衰退と復活

さて、ヴェネチアのカーニバルを祝日と定めたのは、1296年の公文書である。

当時のカーニバルの様子は、こちらの Vivavenice という本の中でも詳しく述べられている。

こちらは、英語版。

 

そして、この下がイタリア語版である。

イタリア語を習っている方(中級くらい)から読める本で、おすすめだ。

シンプルなイタリア語ながらも、イラストを交えながら、ヴェネチアの歴史や習慣を知ることができる。

階級社会であったヴェネチア共和国で、カーニバルの期間だけは、貴族を皮肉ったりする無礼講も許されたという。

また、仮面をして出会った知らない男女が、一夜の楽しみを共にする…といった、一年に一度のどんちゃん騒ぎであった。

このような危険のない形で、庶民の日頃の鬱憤を晴らすという政治的な目的もあったのかもしれない。

しかし、1797年にヴェネチア共和国は崩壊。

仮面を被っての反逆を危惧して、ナポレオン軍は仮面を禁止し、カーニバルの伝統も失われてしまった。

しかし、ブラノ島やムラノ島などの小さな島では、細々とこの伝統を継承していた。

そして、1960年代後半にヴェネチアの若者たちが、仮装をしたり得意な音楽を披露したりして、ブラノ島からカーニバルのイベントを徐々に拡大。

ヴェネチア本島でもカーニバルが復活した..というのが、私が現在70歳近いヴェネチア人に聞いたお話だ。

出典@publisher = VENEZIATODAY

title = Il Carnevale di Venezia è rinato da Burano VIDEO

こちらはVENEZIATODAYというメディアのビデオの一場面だが、80年代の写真のようだ。

手作り感あふれる学校祭のような感じで、とても楽しそう。

前述のヴェネチア人も、当時のカーニバルの様子を収めた写真(60年代後半のもの)を見せてくれたので、いつか公開したい。

彼が当時使っていたアコーディオンも家にあったが、音楽が得意だった彼はカーニバルで女の子に相当モテたらしい。

今はすっかり観光の産物となってしまったが、1960年代のカーニバルはこのような若者たちの楽しみであり、生き生きした出会いの場でもあった。

そして1979年、200年の日の目を浴びない年月を経て、やっとカーニバルは公式のイベントとして復活した。

しかし、市民のものであったカーニバルが、どんどん注目されるにつれて、観光客に奪われてしまったことは、皮肉である。

カーニバルの宗教的意味

さて、市民の生活とガッチリ結びついた風習であったカーニバル。

しかし、一応(?)宗教行事的な意味も与えられている。

日本語では「謝肉祭」と翻訳されるが、先に述べた1296年の文書では、その後に始まる四旬節(Quaresima)の前日を指していた。

現在では、脂の火曜日(Martedì grasso)と呼ばれ、カーニバルの最終日となっている。

「明日からお肉食べれないぜ!よっしゃ、最後に食べまくってやる〜!」というノリだろう。

四旬節の最初の日は、復活祭の46日前の日で、灰の水曜日(mercoledì delle ceneri)と呼ばれる。

その日から復活祭(Pasqua)までの期間中の46日間は、聖職者が断食をしたり、カトリック・スクールの子供達が「自分との約束」を書いたりする祈りと節制の期間とされる。

ただ、現在では、宗教的に熱心でない場合、期間中ずっとお肉を食べないという人はあまりいないようだ。

カーニバルの初日は、脂の木曜日(giovedì grasso)の直前の土曜日と決まっており、夜に船上のパレードで開会式が始まる。

「脂」とは、四旬節の始まりの「灰」がずいぶんともの悲しいのに比べて、ずいぶんギトギトしているが、要は肉を食べる日なのだ。

現在のカーニバルは、「脂の木曜日の前の土曜日」から「脂の火曜日」までの18日間である。

天使の飛行(Il volo dell’Angelo)

この18日間、公式・非公式のイベントが続くのだが、1番のイベントは 「天使の飛行(Il volo dell’Angelo)」だろう。

もともとは、1500年代の中頃、トルコの芸人がサンマルコの鐘楼からドゥカーレ宮殿まで綱渡りをしたのが始まりだったと言われている。

そこで、「トルコの飛行(Svolo del Turco)」と名付けられたこの綱渡りがカーニバルのイベントとなり、若者たちが自分の勇気と能力を披露するため、また、元首に貰う賞金のため、綱を渡り続けた。

イベントは1759年まで続いたというが、このイベントがどういう結末を迎えたかは、皆さんの想像に難くないだろう。

そう、曲芸師が、落ちて亡くなったのである。

その後、人間の代わりに、木でできた大きなハトを紐で渡らせるようになったので、名前も「鳩の飛行(Il volo della colombina)」と改名。

しかし現在は天使の飛行。

飛んでいるのは…。

なんと、毎年行われるヴェネチア美少女コンテスト「マリア達のコンテスト(Il concorso delle Marie)」の優勝者である。

マリア達のコンテスト

参加資格は、ヴェネチアとその周囲の町の住民票を持つか、ヴェネチアに生まれた18歳から28歳までの女性。

動画で飛んでいるオレンジの衣装の女性は、ヴェネト州出身のモリアーノ出身だ。

私もヴェネチアの住民票を持っていたので、アジア人初のマリアになれたかも知れない。(←はい、なれません。すみません。)

でも、万が一優勝しても、あの高さをゆ〜らゆ〜ら手を振りながら降りていくなど、私には到底できない。

優勝したら、次の年のカーニバルで、サンマルコの鐘楼から飛ばなければならないのだ。

(ただし、この習慣は2011年からのもので、2001年から2010年は、女優さんなどが飛んでいた。更にその前の2000年までは、前述の鳩が宙を舞っていた。)

そのうち、事故で女の子が落ちて、また木製のハトに変わるのではないかと思うとゾッとする。

実は、このマリア達のコンテストにも面白い歴史がある。

もともと、2月2日は「聖母マリアの清め(Purificazione di Maria)」を祝う日であったことから、ヴェネチアの中から12人の貧しくて美しい花嫁が選ばれ、貴族の寄付によって華々しい結婚式を挙げる習慣があった。

当時の参加者はヴェネチア本島の少女達だけに限られていたようで、ヴェネチアの6つの地区(Sestiere)から、各2人ずつ選出された。

元首の前で、選ばれた美しい花嫁は、美しい衣装や宝石を身に纏って祝福されるのだ。

ただ、これらの装飾品は貸し衣装だったようだ。

今の結婚式とも通じるところがあるかも知れない。

想像するに、この時代の貧しいヴェネチアの女の子達は、

「綺麗な女性になれたら、リッチで素敵な結婚式が挙げられるんだわ」

という期待を胸に育ったのではないだろうか。

しかし、ここでも事件が起こる。

943年のこと、選ばれた12人の花嫁達が海賊に襲われ、宝石もろとも奪われたのだ。

しかし、結局花嫁も宝石も奪還され、その勝利を記念するために「マリア達の祭り(Festa delle Marie)」という記念日が作られた。

「マリア達」というのは、聖母マリアのお清めに因んだという説と、奪われた花嫁たちの中にマリアという名前の女性が多かったという説がある。

カーニバルのお菓子

最後に紹介したいのが、カーニバルの期間中にヴェネチアで食べるお菓子だ。

実は私は、断然、和菓子・和食派。

ケーキだって、イタリアのより日本の方が繊細で美味しいと思っている。

でも、このカーニバル期間中のお菓子だけは、日本でも食べたい!と思う。

まず一つ目が、フリッテッレ(frittelle)だ。

例えるなら、揚げたシュークリームみたいな感じだろうか。

揚げパンなのだが、生地がフワッフワである。

レーズン入りでクリームが入っていないのが伝統的なフリッテッレだ。

変化球として、カスタードクリーム入りや、リンゴ味、色々あるが、お店によって味が全然違う。

それから、もう一つの代表的なカーニバルのお菓子が、キアッキエーレ(chiacchiere)である。

パイ生地を揚げて砂糖をまぶしたようなお菓子で、曲げればパリンと割れる。

軽くて、繊細で、何枚も重ねるとカサカサ音がなるので、おしゃべり(キアッキエーレ)と呼ばれる。

呼び方は沢山あって、クロストリ(crostoli)やブジーエ(bugie)、ヴェネチアではガラーニ(galani)とも呼ばれる。

こちらも、お店によって味が全然違う。

どっしりと厚めのものもあれば、カリッカリで、手に取るだけで崩れ落ちそうなものもある。

脂っぽいのは美味しくないけれど、甘くて口の中で溶けるような軽いのは、とても美味しい。

まとめ

12月25日のクリスマスは、もともと太陽信仰に基づき、冬至をお祝いする日だった。

冬至は一年で最も陽が短い日だが、この日から太陽が復活することをお祝いしたのだ。

1月1日の正月、1月6日のエピファニア、そして一年でも最も寒くて暗い時期に行われるカーニバル。

ヴェネチアの冬は暗く、それに湿度が高い。

夜は霧がかかり、帽子なしでは髪の毛が濡れてしまう。

そんな暗い時期に、ヴェネチアには大した娯楽施設もない。

日本みたいに、ゲームセンターやカラオケやボーリングや、要は若者がパーっと盛り上がる施設に欠けるのだ。

だから、ヴェネチアの若者がカーニバルというイベントを盛り上げていったのも、自然な流れだったと思う。

今はすっかり観光客向けのイベントになっているが、今でもヴェネチアの若者は、グループでテーマを決めて、トランプのエースからキングまでの衣装を作って出かけたり、変な格好をして街に繰り出して、リアルト橋から運河に落っこちたりと、ハメを外している。

今年はカーニバルもなく、一連のイベントも自粛つづき…。

ただ、1月31日には、イタリア全土がイエローゾーンになり、全国的に規制が緩和された。

暖かくなるにつれて、このまま状況がよくなることを願っている。

そして、春になり、復活祭までには、暖かい日が戻って来るように。

長い沈黙の四旬節の後には、卵がかえり、また命が始まるように。

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