ルイージ のイタリアンポップス シリーズ05 ミスター・メランコリーと呼びたい。

こちらの「LUIGIのイタリアンポップス」シリーズは、イタリアのポップス(カンツォーネ)に詳しく、日本でバンド活動もされていらっしゃるLUIGIさんが、5回に渡ってイタリアの60年代に流行したカンツォーネを紹介してくださいます!

さて、第5回目は、ルイージ・テンコの「チャオ・アモーレ・チャオ “Ciao amore, ciao”」です。

イタリア音楽史に残る奇才の音楽家は、第17回サンレモ音楽祭で受賞を逃した後、29歳の若さで自殺しました。

「Ciao amore, ciao」は、彼の最後に歌った歌ですが、ルイージさんはこの曲を「威勢の良い派手な曲に載るメランコリーな物語」と評しています。

実は、このうたは初めは反戦歌でしたが、サンレモ音楽祭に出場するために歌詞の内容を全く変えています。

記事の最後に、反戦歌バージョンの動画と、オリジナルの歌詞も一部紹介します。

Ciao amore, ciao (1967) ルイジ・テンコ (Luigi Tenco)

YouTubeにはこの曲の動画が2~3例あるのですが、私は、「曲中徐々にテンポアップする」という意図が明確に伝わる感じがして、上に挙げた音源が一番好きです。

1967年のサンレモ音楽祭*で作者ルイジ・テンコ本人と、ダリダによって歌われた曲です(同じ曲を2組の歌い手が歌うという趣旨)

*サンレモ音楽祭については、ウィキペディア(Wikipedia)日本版に立派な解説があります)。

また、この曲が落選とされた夜、彼がピストル自殺した事とか、その事件の後、彼は高く再評価されるようになり、後のサンレモでは彼の名を冠した「ルイジ・テンコ賞」という特別賞枠が設けられている事などは、知ってはいました。

彼の作風には、地味ながらも心に染みる渋いものが多いのですが、この曲は派手で威勢が良く、その構成も特徴的なので、今回これを取り上げる事とし、ルイジ・テンコについての紹介はそれで終わろうと思っていたのですが...。

記述を進めながら、記憶の検証のためWiki-Italiaで調べてみましたが、自動翻訳を使ったヘンテコな訳文であっても、私の知らなかった何か深い物語が見え隠れします。

これは安直に引用して終わりにしてはいけないと思い、アイナ講師にお願いして Wiki-Italia より Luigi Tenco と Ciao amore, ciao の解説を翻訳していただきました。

彼とこの曲の物語については後で記すこととして、先ずこの曲の展開をなぞり(間違ってるかも)、それにアイナ先生の力添えによる訳詞の要約を重ねてみます。

完全4度上がる転調を2回織り交ぜながらAメロを繰り返したあと、「花咲く」と同じ短3度下げの転調をしてBメロ1の “ciao amore” の連呼に繋げ、Bメロ2の “Andare via” で同主調のマイナーコードに転ずるという、「これでもか」という派手な展開で曲は進みます。

最初のAメロふたつで(貧しい)農村風景を描き、次のふたつのAメロはどんどん声を張り上げて「こんな境遇で今後やっていけるのか?」と訴え、ある日「もうたくさんだ」と言って出奔する(都会に出る)…。

こんな感じですかね?アイナ先生。

声高らかに “ciao amore” を繰り返し、”Andare via” 「遠くへ行くんだ、別の世界を探すんだ」と意気軒昂に語って1番目の歌詞は終わります。

ところが2番の歌詞では、飛び出してはみたものの、行った先は何から何まで違いすぎて、進むべき方向も見いだせず、全然成し遂げた感も持てず、「もう帰りたい」とこぼします。

でもそれでも彼は “ciao amore” を繰り返す。(訳を知ってみると、私にはこの言葉が空しく響きました)

「何でも出来る世の中で、自分は何も出来ない、帰るお金さえもない」と結びます。

進退窮まる中でもまだ “ciao amore” と続けながら曲は終わります。

威勢の良い派手な曲に載るメランコリーな物語。

奇しくも「花咲く丘に涙して」や「木綿のハンカチーフ」と状況設定は似てるのだけど、彼の絶望感は半端ではないよね。

ただこの曲、サンレモ・ライブ動画も含めて YouTube の音源を何通りか聴きましたが、1番の終わりから2番の曲頭に戻す部分、あるいはイントロの部分のアレンジが微妙に定まっていません。

本人は亡くなっているので後年の再録音はあり得ないケース。短い期間の中で揺れたアレンジという事になりますか。

ダリダの方は、どの録音も同じイントロとリフレインで、アレンジは定まっています。

もしや、この曲の作者でもあるルイジは、自分が歌う場合の編曲構想がまだ荒削りのまま、サンレモにエントリーとなったのではないか?などと際限なく憶測が湧いてきます。

ともあれ、私がよく聞いていた1960~70年代くらいのまでのカンツォーネには、しばしば、スケール感大きくドラマチックな曲がありました。

私は、その理由の一つにサンレモ音楽祭の存在が影響しているのではないかと思います。

格式高めでお金持ちのためだけのイベントという評も聞きますが、有数のビッグイベントなので、ここで勝ち抜くために、スケール感大きな新曲で競い合う風潮が強かったのではないか?

さて、一方で曲の造りをハデに決めるなら、曲のアレンジをハデにするのもありか?

では、同じようにサンレモにエントリーした曲の中で、ハデなアレンジの例は?

私に印象深い1曲は次回、ジリオラ・チンクェッティ (Gigliola Cinquetti) の “Non ho l’eta (per amarti)” になります。

ルイジ・テンコと、この曲の物語について興味のある方はコチラへ。誰もいないか。

※ LUIGIのホームページを読みたい方は、コチラをクリックしてください。

この記事を書いた人

LUIGI

あと何年かで6回目の廻り年になる、イタリアのポップス(カンツォーネと呼ばれた)やイタリアンカルチャーファンの爺さんです。

 

最近、終活を意識するようになり、人生での「やり残し感」を思う事が多くなりました(いっぱいあるけど)。

 

そんな時、イタリア語会話講座の広告が目にとまりました。

 

意識の底にイタリアンカルチャーへの関心が残っていたからか?

 

何か少し近づけるような気がして習い始めました。(学生の頃は勉強が、特に外国語は大の苦手でしたが)

 

会話を習ううち、イタリアンポップスの歌詞に興味が湧き、アイナ先生にお願いして歌詞の翻訳も習うことになりました。

 

もう少し詳しい自己紹介はコチラ。興味がある方は覗いてください。

反戦歌「Li vidi tornare」

初めは反戦歌だった「Ciao amore, ciao」の元となった曲「Li vidi tornare(リ・ヴィーディ・トルナーレ)」ですが、サンレモ音楽祭に出場するために、歌詞の内容が全く変えられました。

でも、曲調はそのままですし、サビの部分「Ciao amore, ciao amore, ciao amore, ciao」もそのままです。

さて、歌詞の冒頭部分を読んでみましょう。

彼らが通り過ぎるのが見えた

僕の畑の近くで

僕は子供で

そこで遊んでいた

彼らは300人いた

彼らは若くて強かった

彼らは前線に向かった

瞳に太陽をたたえながら

そして歌い続けていた

みんなで声をそろえて

さよなら 愛するひと さよなら

さよなら 愛するひと…

 

僕は大人たちに聞いてみた

彼らはいつ帰ってくるのかと

大人たちは泣いていた

僕に何も答えずに

僕は1人で歌っていた

野原の真ん中で遊びながら

さよなら愛するひと さよなら

さよなら愛するひと…

ciao を さよなら と訳しましたが、ciao だけだと、「こんにちは」「やあ」「それじゃ」など、別れなのかただの挨拶なのか、わかりません。

そして、とてもカジュアルな表現です。

だからこそ、子供の「僕」にはその意味が分からず、聞いた歌を口ずさんでいたのでしょう。

夢見ながら?泣きながら?

ルイージテンコの気性の激しさや絶望感は言うまでもありませんが、それでも、オリジナルの曲を発表できたら、彼は死んでいなかったかもしれません。

自分の思想を曲げてまで、「勝つ」ために挑んだサンレモ音楽祭。

それなのに、勝てなかったのですから。

勝利を夢見て、心の中では泣きながら、嘘をついたのに。

「Ciao amore, ciao」は反戦歌だった最初のバージョンから何度も改変され、歌詞やアレンジが微妙に違うものがたくさんあり、この動画のバージョンでは、最終決定バージョンの歌詞の「夢見ながら田舎を去る」という部分が、「泣きながら田舎を去る」と歌われています。

sognando(夢見ながら)をpiangendo(泣きながら)と歌ったのは、「田舎を去る僕」なのか、「戦場に出かける兵士たち」なのか、それとも「ルイージテンコ自身」だったかも知れませんね。

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