ナイキのCM

新聞でこのCMに関する記事を読んだ。

「ナイキが日本の差別をCMで描く」。

気になったので、Youtubeで観てみることにした。

中学生の頃を思い出して

チマチョゴリの子は、韓国か朝鮮系の子かな?

アフリカ系が入った女の子も、見た目が分かりやすい。

でも、もう1人は、多分「普通の」日本人のイジメを受けている女の子だと思う。

どうして、男の子は入っていなかったんだろう?

それから、年齢的にもみんな、中学生くらい。

思えば、自分も一番多感だったあの頃。

今は大人になって面の皮も暑くなってしまったけど、あの頃の私がこのCMを観たら、どう思ったかな?

世界のことなんて何も知らなかった。

政治の話なんて、聞いたこともなかった。

世界は、周りの友達と、学校と、部活と、その中での「わたし」の位置。

それだけだった気がする。

そんな中で否定されれば、「わたし」は簡単にボロボロになってしまう。

だけど、この3人の子達は、つよい。

つよいのがかっこいいのは、鬼滅の刃だって同じだろう。

辛くても、押しつぶされそうになっても、自分を肯定して、前に進む。

あきらめない。幸せになる。

だから、このCMは「応援歌」みたいなものだと思った。

きっと、「日本にいる、同じような境遇の子達に、勇気を与える」っていう制作意図があったと思う。

愛しい記憶とチマチョゴリ

だけど、このYoutubeのコメント欄を見たら、否定的なコメントがほとんどだった。

色んな政治的な背景を並べたてたコメントが目立つ。

だけど、中学2年生くらいだったときの、自分のことを思い出してみてほしい。

中学生が、政治的な思想を持って、チマチョゴリを着てるわけじゃない。

ただ、この否定的なコメントをした人の大半は、このCMの制作意図を取り違えているのではないかと思う。

「日本の差別を批判する」とか、「日本社会を批判する」とか、勝手に批判された気になっていないだろうか。

このCMには、社会的な、ましてや政治的な意味合いを、全く感じない。

チマチョゴリに政治を見出してるのは、見る側の勝手な思い込みだ。

着てる方は、ただ制服として着ていたり、文化として着ているにすぎない。

コメントの中に、「日本人にとってチマチョゴリは戦闘服だ」と書いている人がいた。

その人には、悲しいことに、そう見えてしまうのだろう。

だけど、私たちにとって制服が「学生らしい」「清潔」「伝統的」というイメージを持つように、彼らにとってはチマチョゴリがそういう愛のある服装だという理解はされないのだろうか。

私は韓国や朝鮮の文化は全然知らない。

だけど、愛する人のお葬式や、めでたい結婚や、そういう時にもきっと、日本人が着物を着るように、着るのではないだろうか。

そんな人生の大事な場面で着られる服を、「戦闘服」と呼び捨てることは、私には許せない。

気がつけば「移民大国」

そして、そもそも、このCMは誰のために作られたのか。

日本語で語られているからといって、私たちは何か勘違いをしていないだろうか。

この前、『気がつけば「移民大国」』というキャッチコピーを目にして、眼から鱗が落ちた。

海外から見れば、日本はすでに「移民大国」なのだという。

2019年に国連がまとめた日本の移民人口は、約250万人と、世界26位。

そして、そうやって日本に長期滞在する人の中では、日本人と家庭を持つ人も少なくない。

その子供達も合わせれば、色んなルーツを持つ人が日本の中で増えているのだ。

このCMは、そんな多様なルーツを持っていたり、いじめを受けたりする、多感な時期の子供達ー特に少女ーに対して、作られたのではないだろうか。

先ほど、「このCMに社会的意味合いを感じない」と書いた。

それは、このCMは「多様なルーツを持つ子どもへの応援歌」であり、日本社会への批判の意図はないという意味だ。

もし、そういう批判を意図するならば、このCMでは3人の「周りの人間」が変わらなければならないだろう。

だけど、変わったのは3人の子ども達自身だ。

「社会が変わるのなんて、待ってられない。」と、笑顔で前に進む。

人種差別に対する話題は、実際いま「旬」であり「ブーム」であり、社会が盛り上がりを見せていることは間違いないと思う。

そして、日本という社会には、確実に多様なルーツを持つ人が増えている。

このCMは、コメントの人たちが書くように、「対立を煽る」のだろうか?

「差別を助長する」のだろうか?

日本に来る外国人は、日本側に需要があるので来ている。

「日本に仕事があるので外国人が来る」ということは、必ず「それを求める日本人がいる」ということだ。

技能実習生や、留学生の労働をめぐる差別的な扱いも社会問題となっている。

色んなルーツを持つ子どもに対するいじめだって、社会問題として取り上げられて不思議はないだろう。

私たちが、そういった問題が「ある」と認識することは、CMの製作者にとっても意図するところだったと思う。

どういう大人になりたい?

最後に、カッコ良かったのが、永里優季選手だ。

子ども達3人がゆらゆら揺れている分、大人のどっしりした強さが際立っていた。

現れたのは一瞬だったけれど、グッと来てしまった。

大人になるって、こういう事だよなあ、って思った。

いじめられたりすると、自分が悪いのかなって思ってしまう。

私って変なのかな。

みんなに合わせなきゃ。

きっと、誰だってそういう風に感じたことはあると思う。

だけど、自分はこれでいいんだよ。

誰も「いいよ」って言ってくれなくても、笑っていていいんだ。

そんな強さが、大人の持ってる強さだと思う。

今は面の皮が厚くなったと書いたけれど、生きてればどうしても厚くなってしまう。

自分は正しいと思って、ふてぶてしくも、こういうブログも書いてしまう。

だけど、この中学生はかわいいね。

こういう繊細な時期の子どもの心が、守られるように祈っています。

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