私の税金でもあるから、使い道はよく考えたい。GO TO トラベルよりグリーン・リカバリーを。

愛する人に会うことよりも

私の住む札幌を筆頭に、全国的に新型コロナウイルスの感染が拡大している。

GO TO トラベルとの因果関係について議論がされる中、「でも、経済が回らないと困るし…。」という呪文のような言葉を多くの人が発している。

でも、その場合の「経済」とは、その他多くの業種を犠牲にした、観光や飲食業、交通機関といった業種の経済のことである。

今回のコロナ禍において、これらの業種は大きなダメージを受けた。

それを生業とする人々にとって、この状況が生死に関わることであることに異論はない。

しかし、感染が拡大し続ける中、私は大好きなおばあちゃんの施設に面会に行くこともままならない。

これは、「経済を回す」ことに比べて、取るに足らない、どうでもいいことなのだろうか?

また、沢山の人が、入院する家族への面会を制限されている。

愛する家族の緊急事態にちゃんと駆けつけて、お互いの顔を見て気持ちを伝えることより、「経済を回す」ことは大事なのだろうか?

選んだもの。選ばれなかったもの。

そもそも、なぜ観光や飲食がダメージを受けたのか、その原因を考えてみてほしい。

それは、多くの人がそれを「選択」したからだ。

人生の中で犠牲にできないものは、なんだろうか?

私たちが、このコロナ禍でも、自主的に「選んだ」ものは、何だったのだろうか?

それは、教育であり、健康であり、安全であり、かけがえのない日常生活だったはずだ。

多くの人が、レジャーや家族団欒なら、近場で済ませようと考えたのではないだろうか。

そして、それは意外と、近くにも面白い場所は沢山あるという発見にもつながった。

野外でのレジャーにも注目が集まっただろう。

そうして、「不要不急」の旅行などは控えて、みんなが感染を抑えようと思った。

その結果が、経済にダメージを与えたことは、確かだろう。

けれど、それは私たち一人一人が選んだ「ベターな選択肢」でもあったはずだ。

「ここは我慢できる」という落とし所が、旅行や観光、外食を我慢するということだったのだ。

GO TO トラベルやGO TO イートは、人々のその自然な流れを、政治の力でもって人為的に変えようとした。

それは果たして、本当に「人々を救う」国策と言えるだろうか?

家族の緊急事態でどうしても遠方へ行かなければならない人や、仕事でどうしても移動しなければならない人はいる。

もし、感染がこれほど拡大していなければ、そういう人々は、大きな危険を犯すことなく、もっと身軽に移動できたはずだ。

GO TO トラベルやGO TO イートは、その「不要不急」の旅行や外出を増やし、大事な用事で移動しなければならない人や、人々の日常生活を危険にさらしている。

ゾンビ化する経済

このコロナ禍においても、人々が必要だと選び取ったものは、なんだったのだろうか。

第一波の拡大で、保育園や小学校、中学校が閉まったことで、多くの親が大きな精神的・経済的負担を抱えた。

子供の安全や教育、また精神的かつ身体的な健康を確保するためにも、学校は継続されるべきだろう。

コロナのために疲弊している病院も、国民の生活のために、なくてはならないものだ。

買い物のためのスーパーも、それに関わる農家の生産も輸送も、守られなければならない。

外食産業から中食や内食の需要が高まる過程で、生産品目や販売品目が変わっていくのなら、その変化を後押しする公的支援が必要だろう。

多くの失業者や倒産する企業が出たことは、「経済も回さないと…」という呪文の背景にあるものだろう。

しかし、自然な人の流れを逆行させることは、「経済を回す」ことにはつながらない

そもそも、「経済を回す」というからには、需要と供給というサークルがぐるぐる回っているはずだ。

今回のコロナ禍で、私たち人間は活動をやめたわけではない。

活動の内容や、比重が変わっているだけなのだ。

私たちは、今大きな危機の前にあり、「何もせずにひなたぼっこをして、隣の木に生えたバナナを食べていれば生きていける」という状況には生きていない。

そんな平和で調和のとれた生活があれば何よりだが、私たちの身の回りには、課題が山積している。

地球温暖化は進み、気候変動や異常気象で私たちは生命の危機にさらされている。

私たちは、それを解決するために、汗水垂らして働かなければならないだろう。

CO2を出さないエネルギーの技術開発や、私たちの衣食住の変革をしていかなければならない。

子供の教育を考えた時、いじめや教育格差に苦しまず、子供達みんなが幸せに生きていけるようにするためには、沢山の人材や、アイディアや、手も足も使った多くの仕事が必要だろう。

海や山をプラスチックや有毒な化学物質まみれにせず、美しい生き物たちを守っていくためにも、莫大な努力が必要になるだろう。

そもそも、このコロナウイルスの感染拡大は、自然の生態系のバランスが崩れたことが原因である。

であれば、その解決が何より優先されるべきだし、それを放置すれば、第2第3のコロナウイルスは産まれ続けるだろう。

そんな需要が拡大する時代に、「経済が回らない」というのは、おかしな話である。

ここに、需要となる課題は、嫌というほどあるはずなのだ。

それなのに、人々は失業するばかりで、新しい仕事がないのだろうか?

仕事がなくなってしまったのなら、必要とされる別の仕事が生まれているのではないだろうか?

しかし、GO TO の政策は、大きな問題からは目をそらし、人々に「とりあえず」もとのように活動しろと促す。

これは、手当てを必要とする傷口を放置したまま、歩けなくなった患者を歩かせようと、痛み止めを飲ませて歩かせ続けるようなものではないだろうか。

我々の行動は、「血を流しながら歩き続けるゾンビ」化しているというのは、言い過ぎだろうか。

慣性の法則というものは、人間の行動にも当てはまるようで、「今までのように」私たちは生きていこうとするのかもしれない。

でも、このゾンビ化の弊害は大きいと私は思う。

ビルド・バック・ベター(より良い復興)

我々は、経済を建て直さなければならない。

しかし、同じ建物を立てれば、また同じ災害が起これば簡単に崩れ落ちてしまうだろう。

そこで、Build Back Better(ビルド・バック・ベターや、Green Recovery(グリーン・リカバリー)という考え方が生まれ始めた。

どうせ建て直すのなら、今度はもっと良くしよう。

今度は、持続可能な経済を作り上げよう。

そして、持続可能な社会とは、環境に優しいグリーンな社会である。

具体的な新しい経済の方向性については、私はフランスの経済学者ジャック・アタリー氏の考え方に全面的に賛同する。

彼の考え方はこうだ。

「我々が欲のままに行動していては、国は自治を維持できない。

野菜や生活必需品、生活に不可欠なサービス(生活産業)を、海外の安い労働力を使わず、自国(ヨーロッパ)で自給自足する必要がある。

このような製品やサービスにかかる費用は、高くなるかもしれない。

そして、我々も、そのような必要不可欠でない分野への出費ができなくなるだろう。

また、本当に生活に必要不可欠でない分野(旅行、娯楽、ファッションなど)での労働者は減る。

このような変化を促すため、ヨーロッパは「ソブリン債」を発行すべきである。

これは、ヨーロッパが自分の足で立つ力を取り戻すための、投資である。

これなら、損をする国家はない。

それでいて、このソブリン債は、コロナで破綻した各国の経済を救う。

なぜなら、長期化するコロナ拡大の影響で、本当に生活に必要不可欠でない産業は、破綻する。

そこで発生した失業者や産業を救うため、EUは、そのような産業に従事していた労働者が、本当に必要な産業(生活産業)を担う手助けをするのだ。

ヨーロッパは、この産業のシフトへ投資する。

ただ単に、お金のない国の人々に、余力のある国がお金をプレゼントするのではない。

これなら、ドイツも投資を嫌がることはないだろう。」

詳しくは、こちらの記事でアタリー氏の記事を翻訳しているので、読んでみて欲しい。

EU復興基金

EUがこの7月に合意したEU復興基金は、一部にこのアタリー氏のソブリン債の考え方を取り入れていると思う。

なぜなら、各国に配分されるお金の使い道について、気候変動対策経済のデジタル化などに重点的に投資していくことで合意したからだ。

7500億ユーロのうち、28%にあたる2090億ユーロ(約26兆円)はイタリアに配当される。

お金の使い道について、まだ詳しくは決まっていない様だが、大枠についてコンテ首相が動画で語っている。

「イタリアをより環境に優しい国に、よりデジタル化された国に、より先進的な国に、そして持続可能な国に」するための資金とするという。

そのために、「教育、大学、研究、そして社会インフラに投資していく」

EU議会は、各国が融資を返済するために、環境税とデジタル税を徴収し、それを返済に当てることを期待している。

環境税とは、二酸化炭素を排出する時に払われる炭素税や、プラスチック課税などが検討されている。

また、デジタル税とは、巨大IT企業などの、各国にまたがってインターネット上で利益を上げる企業が、十分に税金を納めていないので、国際的なIT企業から適切に課税をしていくための制度である。

どうせ立ち上がるのなら、ただでは起きないところが欧州評議会の作戦だ。

この危機を、環境問題やデジタル経済の改善のために、役立てようというのだ。

そもそも、なぜGO TOを始めたのか

それはもちろん、観光業やそれに伴う職種の人々を、救うためだろう。

でも、長期的に見て、本当にこれで彼らは救われるのだろうか?

感染拡大してしまったら、逆にダメージを与えないのだろうか。

そして、この割引キャンペーン、お得なようだが、そもそも誰のお金なのか?

もちろん、国民のお金である税金から出しているはずだ。

私は自分がお金を出すなら、ダメージを受けた職種の方々が「とりあえず、働かなくても生きていける」ような支援をしてあげたい。

別に、すぐに旅行はできなくても、構わないから。

または、感染を拡大しない、今必要な業種(先ほど述べたような、持続可能な社会を作るための仕事)へのシフトを手伝うような、そんな支援にお金を使いたい。

これは、私たちのお金だ。

意見の違いは、いろいろあると思う。

だけど、やはり無関心でいることはできない。

日本中の誰もが自分の意見を表明する権利があるし、そうあって欲しい。

GO TO に関する方向性は、未来の可能性も見つめた、もっと深い議論になることを願っている。

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