今年は、コロナのために、予定していた海外旅行を諦めた人も多いだろう。
最近はLCC格安航空などが増えたこともあり、海外旅行に行く人が増えてきた。
でも、私の住んでいたヴェネチアは、観光客が来ることで街が暮らしづらくなったり、街自体が傷んだりしていた。
故郷の札幌でも、以前は地元の人達の面白いお店があった場所が、観光客用のドラッグストアばかりになったりした。
温暖化の原因になる二酸化炭素も、飛行機は多く排出する。
それに、旅行となると、普段よりも使い捨てのものを使い、ゴミを出してしまう。
そんなことが気になり、やはり家族と楽しむ程度なら、近場の方がいいのだろうか?と思い始めた。
すると、近くにもよく探せば面白い場所はあるし、移動の疲れも感じなくて済むことがわかった。
でも、旅行って、疲れて、ゴミを出して、地元の人に迷惑をかけて、地球温暖化まで促進してしまう、最低なものだったっけ?
いや、それだけじゃないはずだ。
筆者の旅行体験
ここで少し、私がこれまでどういった旅をしてきたのかをご紹介したい。
私は小さい頃、いわゆる「観光」「バカンス」という目的で、旅行をしたことがなかった。
父も母も研究者で、海外に行くといえば、フィールドワークである。
学校の終業式にも始業式にも出ず、長期間、東南アジアのいろんな国へ連れて行かれた。
中国、インドネシア、タイ、シンガポール、モンゴル。。。
今でこそ、日本人も海外旅行でよく訪れるが、25年前は海外旅行といえばグアムやハワイで、そういう所に行く友達がうらやましかった。
私たちは、中国にいる父の友人の家に自転車を何時間もこいで行って、薬草の話を聞いたり。
インドネシアのおばあさんに手を引かれて地元の市場へ行ったり。
家の中でつぶれているゴキブリや、屋根の上に座ってタバコをふかすお兄さんとのおしゃべり。
中国のトイレでは、大量のウンチの山に虫がウヨウヨいたのも覚えている。
綺麗なトイレは有料で、中のお姉さんにトイレ料金をぼったくられたり。
万里の長城を延々と歩いた時は、安物の靴下が1日に何足も破けたりした。
別に、こういう旅を勧めているわけではない。
でも、日本の水洗トイレに疑問を抱くことも、こういう経験がなければ、なかったんじゃないだろうか。
小さい頃、中国では、一体何回そこらへんのお姉さんたちに髪を結われただろうか。
ヘアゴムなんてなくて、輪ゴムで結うから、とる時痛いのだけれど、中国の人は本当に子供好きだった。
子供だからわからなかったのかも知れないけれど、悪意のある人は記憶にない。
お土産を見ただけで買わなかったら、「ガス爆発してシネ!」と言われたことはあったけど。
働いて働いて、やせて肌も真っ黒なお婆さんだった。
みんなお金がなかったんだ。
超満員のバスでは、誰も乗車料金なんて払わない。
でも、私たち家族は、カメラなんか持ってたから、多く払わされたり。
こんな人達を見て、たくさん優しくされて、肌で生活を感じて、私は周りの日本の子供とは、少し違う価値観を持っていたと思う。
出会い、価値観の変容、感動
日本で中国へ行ったというと、友達の反応は「えー」という感じだった。
アメリカ、ヨーロッパ、凄い!東南アジア、汚い!
そうやって差別感情って芽生えていったのかな。
でも、テレビや写真の表面的なイメージでは、絶対に分からない大きさや温度がある。
中国は、何もかも壮大で、絶景はおおっきくて、日本みたいにチマチマしていない。
繊細さはないけど、景色はどこまでも広がり、崇高でカッコ良かった。
モンゴルには、七色の草原が広がっていた。
ピンク、黄色、緑、青、オレンジ。。。
どうして、自然の穀物が、あんな色をしていたのだろう?
アジアが汚いなんて、あの草原を見てから、言えるだろうか?
トノサマバッタの草原では、何千も、何万ものトノサマバッタが、ぴょんぴょこ、ぴょんぴょこ。
色の白くて、汚れていない人が綺麗ですか?
私には、あの草原の中で笑っていた、モンゴルの少年の日に焼けた肌が、すごく美しく思えた。
がむしゃらに生きてて、鏡なんて見たことのないようなお婆さんや、壊れたトラックにもぐって、修理するおじさんに憧れた。
日本に帰っても、イジメやらちょっとした人との違いなんて、どうでも良くなってしまう、そんな経験だった。
綿毛と女王アリと飛行機
なんだってできるし、どうにかして生きていける。
逃げたくなったら、どこにだって逃げられる。
人間だけでなく、動物だって旅をする。
群れを追われたり、新しい恋を探したり、暖かい場所へ渡ったり。
旅の本質って、意外とその辺りにあるのではないだろうか。
私たちは本能的に、いつも自分の可能性を探しているし、逃げる必要だってあるのだ。
でも、植物のように、根を張らないと、育てられないものもある。
女王アリは、適齢期はハネがあるけれど、交尾をするとハネがなくなってしまうという話を、聞いたことがあるだろうか。
綿毛のように、飛んでいって、そこで子孫を作ると、あとはそこから動けなくなるのだ。
人間は、動物だから動けるけれど、飛行機でもっと遠くへ移動できる羽を手に入れた。
旅をすることで、私たちは、新しい価値観に触れることができる。
そのためには、表面的な観光では不十分だ。
疲れて、ゴミを出して、地元の人に迷惑をかけて、地球温暖化まで促進してしまう、最低なものになる可能性もある。
そういう観光は、今後インターネットなどのバーチャルな体験に取って変わられるだろう。
グローバルでありながら、ローカルに旅をすること。
自分の細胞と価値観を揺さぶって、変容していくこと。
そのために、どのような旅をしたらいいのか、それはエコな旅のしかたとも繋がってくる。
本編「サステイナブルな旅行のしかた」では、具体的にどうやったらサステイナブルでローカルな旅行ができるのか、提案した。
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[…] 「序章〜人はなぜ旅をするのか」では、旅によって人は何を得るのかを考えた。 […]
[…] 「序章〜人はなぜ旅をするのか」では、旅によって人は何を得るのかを考えた。 […]