ヴィスコンティ「山猫」の名言と「もののけ姫」

ヴィスコンティ「山猫」の名言と「もののけ姫」

俳優が超豪華な作品で、皆さんご存知のクラウディア・カルディナーレとアラン・ドロンが登場する。

アランドロンはフランス人なのに、イタリア語もこんなにできるのかと思ったら、吹き替えだそうだ。

監督のヴィスコンティは、自身も貴族であり、自分の思いを語った映画としても知られる。

映画内に登場する貴族は、3分の1が本物のシチリア貴族の末裔だという。

こんな所からも、この作品は見る価値がある映画であると言えるだろう。

しかし、現代人が見るにはあまりにゆったりとしており、ハリウッドなどの映画を見慣れる私たちからすれば、「これ、3分の1に編集できなかった?」と言いたくなるテンポのゆったりした作品だ。

しかし、ここで見るのをやめてしまうのは、もったいない。

見逃してはいけない場面は、最後の方にある。

チャプターで言うと、「上院議員への誘い」「大舞踏会」「華麗なるワルツ」である。

「上院議員への誘い」では、シチリア人に対するヴィスコンティの哲学が語られる。

「大舞踏会」では、本物の貴族やド派手な衣装に目が丸くなる。

「私も、一生に一度でいいから着てみたい、、、やっぱり結婚式とかしたい!」と思ってしまうような、「ザ・西洋のドレス!お姫さま!」である。

「華麗なるワルツ」では、主人公を踊りに誘うアンジェリカのシーンで、ドキドキが止まらない。

また、2人の踊るシーンは、私は踊りのことなどわからないけれど、なんだかとっても素敵だ。

ここでは、「山猫」に出てくる、ヴィスコンティの思想を表す名言を3つ紹介する。

名言1:タンクレーディ「現状維持が必要ならば、全て変わらなければならない」

かつて民主党の代表選挙に出馬した小沢一郎が引用したことでも有名だ。

ここでは、上記の直訳ではなく、「変わらずに生きていくには、自分が変わらなければならない」と言う意訳の方を引用している。

どちらも言いたいことは同じである。

主人公は、ナポリ王(両シチリア王)に恩義があるので、義勇軍を応援できないと言う。

1860年、ガリヴァルディ率いる赤シャツ隊(義勇軍)が両シチリア 王国を侵略し、5月にパレルモを陥落してシチリアをほぼ手中に収めた。

10月、住民投票が行われ、サルデーニャ王国への併合が決定された。

翌年3月、サルデーニャがイタリア王国となり、中部イタリアを併合して、統一は一応の成立を実現した。

これにより、シチリアはナポリの王からイタリアの王へと君主が変わったが、共和制にはならなかった。

つまり、タンクレーディが言ったのは、「共和制でなく王制を維持したいのなら、今の王ではだめだ」ということだったのだ。

名言2:ファブリツィオ「眠りだよ。シチリア人は長い眠りを求めている。」

「そして、揺り起こそうとするものを憎む。贈り物に心を動かすものもない。」

官能的な死への欲求を語るファブリツィオ。

彼に何を言っても無駄である。

彼は向上などは求めておらず、ただただ忘れ去られたいのだ。

2500年間植民地だったというシチリア 。

今さら自由だと言われ、政治的な改革を求めても、シチリア は変わらない。

死に身を委ね、ただ眠りにつきたいというのは、本当にシチリアの欲求なのだろうか。

私には分からないが、「山猫」というタイトルにその答えがあるように思う。

名言3:ファブリツィオ「我々は山猫だった、獅子だった。けれど、山犬や羊が我々に取って代わるだろう。」

「山猫」と言われて、ピッタリ来るのは、まさにこの主人公のファブリツィオと、クラウディア演じるアンジェリカである。

主人公のファブリツィオの眉毛。

アンジェリカの上目遣いの三白眼。

生まれつきの貴族のファブリツィオと、成り上がりの富豪の娘は対照的なのだが、どちらも野性味が溢れて、誰にも手懐けられない、気高さを感じさせるのだ。

ファブリツィオは、アンジェリカの身分はそれほど高くないけれど、彼女から滲み出る野性的な魅力も高く評価しているのだろうと思う。

それにしても、彼のこの自尊心というか、アイデンティティーは、どこから来るのだろうか。

まるで、「我々は美しく、雄々しい民族だ。」と言っているようで、誇り高いと言うか、なんと言うか。

少し「もののけ姫」のおっこと主を思い出してしまった。

山の神々が力を失っていく中、「仲間はどんどん小さくバカになっていく。言葉も分からなくなってしまった」と嘆くおっこと主。

おっこと主は、体も大きく賢かったが、その子孫は小さく、言葉も分からずブヒブヒ言うだけだった。

この「山猫」でも、あまり上品とは言えないアンジェリカを家族として迎え入れる。

貴族としての気品も文化も、生まれた時から備えてきた「本物の貴族」であるファブリツィオは、その終わりを予感する。

アンジェリカは美しいけれど、偽物の貴族だと思っているのだろう。

しかし、それを拒否はしないところが、この作品の見所だ。

いや、拒否しないどころか、進んで彼女たち一家を、取り込んでいくのである。

まとめ

「まるで自ら毒物を飲むように。」

などと言ったら、クラウディア・カルディナーレのファンに怒られるだろうか。

しかし、そのことと、「官能的な死への欲求」は矛盾しないだろう。

アンジェリカという甘い毒を飲んで、ファブリツィオは自分たち貴族を葬ろうとしたのだ。

ヴィスコンティ「山猫」の名言と「もののけ姫」

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