ローマ教皇とヒロシマ

ローマ教皇とヒロシマ

ローマ教皇フランチェスコは、折に触れて、広島や長崎の原爆の悲惨さを訴えてきた。

2015年の8月9日には、ヴァチカン市国で、毎週日曜日の「お告げの祈り(アンジェラス)」の中で。

2017年の12月30日には、広島の少年の写真を「戦争のもたらすもの」という言葉にサインをつけて、ヴァチカンの公式ホームページにも掲載させた。

そして、2019年11月には、広島と長崎を訪れてスピーチを行った。

2018/8/9 「お告げの祈り」

この日、法王は祈りの言葉の後、ナガサキとヒロシマに触れてスピーチを行った。

また、それだけでなく、エルサルバドルの事件や移民問題、中東情勢についても同時に触れている。

下のお告げの祈り全体の動画の中で、祈りの言葉の直後にあたる11分〜16分の間が、戦争反対への想いを語った部分である。

誰かが書いた文章を読まれたのか、たまにかみつつ、また大変ゆっくりで、法王自身がネイティブのイタリア語話者でないことも手伝ってか、大変聞き取りやすいスピーチである。

フランチェスコ法王による痛切な訴えが、第二次世界大戦を振り返り、語りかけられた。

「70年前、8月6日と9日の日、長崎と広島に、世にも恐ろしい原子爆弾が落とされました…。長いときがすぎましたが、この悲劇はいまだに、私に恐怖と身ぶるいを感じさせます。このことは、科学や技術が歪んだ進歩をしたとき、人類がどれほど恐ろしい破壊力を手にするかということを表しています。

法王は力強く、「戦争にノーを、暴力にノーを!対話にイエスを、平和にイエスを!」と訴えた。

「戦争に勝つ、唯一の方法とは何でしょうか?戦争をしないことなのです。」

2017年の12月30日 「焼き場に立つ少年」

2017年の年末、法王は広島の少年の写真を「戦争のもたらすもの」という言葉にサインをつけて、ヴァチカンの公式ホームページに掲載させた。

こちらがそのホームページである。

また、法王は写真をカードに印刷し、<戦争がもたらすもの>というメッセージを添えて各国に配るよう指示。

日本ではカトリック中央協議会(東京)などを通じて配布されたという。

ホームページには、このような説明が書かれている。

「この写真は長崎で1945年に撮影されたものである。原爆で亡くなった兄弟をおぶって、小さな体を火葬する順番を待っている。」

この写真は米国人写真家のジョー・オダネルが撮影したものだ。

はじめ、写真家は、おぶわれた子供が死んでいるとは思わなかったと言う。

火葬場の人々が、ゆっくりと少年の肩紐を外した時、初めて、この少年の兄弟がもう亡くなっており、この火葬場に遺体を葬るためにやってきたのだと分かったのだった。

直立する少年の強く噛みしめた唇には、血がにじんでいた。

この写真に心を動かされた法王は、全世界に向けて、この写真を公開したのだ。

2019年11月24日 ヒロシマでのスピーチ

このヒロシマで行われた祭典の動画の中で、30分から45分の15分間に渡り、法王がメッセージを読み上げている。

法王は、「わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。」とヒロシマへの想いを語った。

そして、核廃絶への思いを熱く語った。

「確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家(地球)の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器を保有することもまた倫理に反します。そのことについては2年前(2017年)にも申しました。これについて、わたしたちは神の裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。」

「共通の家」とは「地球」のことを指し、フランシスコ教皇がこれまでもたびたび口にしてきた、この世界に対する彼の哲学である。

教皇は、コロナ禍においても、戦争においても、環境問題においても、この「共通の家」という言葉を用いて、地球に暮らす人類の連帯を訴えてきた。

「和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。」

まとめ

我々が「共通の大地」に住むことは、皮肉にも感染症の拡がりや、地球規模での異常気象により、我々一人一人が肌に感じることが多くなってきた。

フランシスコ教皇は、我々が和解と平和の「道具」となることを訴えた。

しかし、我々はいまだに、一部の人々の経済的利益のために、この地球に住む人間やそれ以外の動物を犠牲にして平気でいる。

そして近年は、森林災害、コロナ、異常気象による水害など、「神の裁き」とでも言いたくなるような出来事が次々と起こっている。

しかしこれは、科学的にも当然の、1+1=2というのと同じくらい必然の結果である。

自己中心的な考えを捨てなければ、この「共通の家」ごと共倒れは確実である。

いや、むしろ、自己中心的に利益を追求するなら、地球全体の存続を考える必要がある。

生きていけなければ、経済もへったくれもないのだから。

フランスのアタリー氏が言う様に、利他主義(Altruism)は、究極の利己主義(Egoism)と同じことなのだ。

ローマ教皇とヒロシマ

If you like this article, please
Like!

Let's share this post!

コメント

To comment

TOC
閉じる