子供に見せるために、Youtubeでイタリア語の歌を聴いていた。
日本にいても、なるべくイタリア語に触れさせたいからだ。
すると、私の耳にも慣れた音楽が流れてきた。
あれ?これって日本の歌じゃなかったっけ?
そんな曲がいくつもあり、調べると、どれも60年代のイタリアの童謡を、NHKのみんなの歌などで日本語版として作っていた。
イタリア語の原曲と日本語版を合わせて、5曲紹介する。
4つはゼッキーノ・ドーロという、日本のお母さんと一緒のような番組で紹介された楽曲で、1つはイタリアの大衆音楽である。
Quarantaquattro Gatti(44匹の猫)
1968年の第10回ゼッキーノ・ドーロ音楽大会で優勝した曲。
この歌が流れてきたら、「聴いたことある!」と思う日本人も多いのでは?
日本では、1969年にNHK「みんなのうた」で翻訳され、放送された。
歌詞の内容は、44匹のノラ猫が集会を行い、猫の権利を主張して行進するというものだ。
6列になってヒゲをまっすぐ揃えて、しっぽを曲げて行進をするのだが、6×7=42なので、2匹余ってしまう。
残った2匹は、後からついてくる。
日本語訳も、大部分が原曲に忠実に翻訳されている。
違いとしては、原曲では、子供たちと猫が交渉をする場面が描かれている。
「1日に一度はご飯をちょうだい。それから、たまにソファーでも寝かせて。」
Il Torero Camomillo(トレロ・カモミロ)
こちらも、1968年のゼッキーノ・ドーロに入賞したが、優勝は上記の「Quarantaquattro Gatti(44匹の猫)」だった。
日本では、1970年にNHK「みんなのうた」で初めて放送された。
歌詞の内容も、イタリア語と日本語であまり変わりはない。
闘牛士のカモミロは、牛と闘うよりも寝るのが好き。
闘士のない闘牛士(トレロ)の歌だ。
Volevo un gatto nero(黒猫のタンゴ)
1969年の第11回ゼッキーノ・ドーロ音楽大会で優勝しなかったものの、優勝曲よりも有名になった曲。
日本語訳は、イタリア語の歌詞とは全く違っている。
イタリア語の歌詞は、当ブログの記事「黒猫のタンゴって、本当はどんな曲だったの?」にも書いたのだが、あらすじはこうだ。
「友達に黒猫をもらう代わりに、本物のワニをあげると約束した。
しかし、友達は黒でなく、白い猫をくれた。
そんな嘘つきには、もうワニをあげないよ!でも、白い猫は、もらっておいてあげる。」
歌詞は違うものの、日本で歌った皆川おさむが有名になったように、イタリアで歌った当時4歳のヴィンチェンツァ・パストレッリも、この曲をきっかけに有名になった。
ちなみに、当時発売された「黒猫のタンゴ」のレコードのB面には、「ニッキ・ニャッキ」という曲も入っており、こちらもイタリアの「Nicchi sgnacchi mucchi mucchi」という原曲がある。
Funiculì Funiculà(鬼のパンツ)
こちらは、ゼッキーノ・ドーロではなく、ナポリ発の世界最古のCMソング。
1880年にできたナポリのケーブルカー(愛称はフニクリ・フニクラ)の宣伝曲として作られた。
日本では1961年にNHK「みんなのうた」で「登山電車」というタイトルで紹介された。
歌詞は、上のイタリア語の対訳と下の日本語版を比べていただくと分かるが、原曲の恋愛要素はすっかりなくなっている。
「いつか、結婚しよう」なんて歌詞は、日本語版では見当たらない。
そして、「鬼のパンツ」になると、完全な替え歌である。
しかし、私は子供の頃、こちらのバージョンを先に知ったので、こちらに馴染みがある。
La tromba del pagliaccio(ピエロのトランペット)
これは、記事を読んでくださった方の紹介で知った曲。
サビの部分にかすかに聞き覚えがある。
ペペレぺ、ペレぺ、という部分もそのままだし、歌詞も忠実に訳されている。
1965年の第7回ゼッキーノ・ドーロの入賞曲で、同年に日本語版がみんなのうたで放送された。
まとめ
1960年代というのは、イタリアの楽曲が多く日本に入ってきた時代のようだ。
子供向けの歌だけでなく、大人の歌謡曲・カンツォーネも日本で流行した。
今ではイタリアの音楽界や映画界は、あまり活気がないように見える。
しかしその分、若者はアメリカの音楽や映画を見るので英語が得意だし、日本のアニメや漫画に触れて育っているので、そういう人は日本に対する親近感も強い。
イタリアの料理、ファッションブランド、車などは今も世界で絶大な人気を誇るが、歌や映画といった文化は、今はイタリアから日本には入ってこず、逆に日本産がイタリアに輸入されている場合が多い。
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