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イタリアで買い物 客と店員の上下関係

イタリアに住み始めたばかりの頃、まずドギマギしたのは買い物である。

ヴェネチアのガラスの小物や、お土産、パン屋さん、スーパーなど、色々なお店で買い物をした。

しかし、店員さんはニコリともしない人が多い。

それどころか、お釣りを投げてよこされて、なんだか傷つくこともあった。

なので、まず初めの一時帰国で安心したのは、空港やレストランでの、日本女性の甘い笑顔だ。

ソフトな笑顔が心地よく、居心地が良かった。

しかし、またイタリアに戻り、長く生活していくと、「お客様が神様」の日本とは正反対の、「店員は家の主で、客はよその家に入って、お邪魔させてもらう人」という感覚がわかるようになってきた。

イタリアでの買い物のマナー

まず、私は迷いもなくお店に突っ込みすぎていた。

それが当たり前だと思っていたが、イタリア人の友達と買い物すると、決まって彼らはショーウィンドーをじっと眺め、「どうしようか。入っていいかな。」と結構悩んでいる。

どうしても入りたい!となった時だけ、初対面の人の家に上がるときのように、ニコニコと礼儀正しく「ボンジョルノ。」と入っていくのである。

そして、「見てもいいですか?」と聞く人が多い。

2度目以降は「チャオ!」になるが、挨拶もなしにツカツカ入っていく人はあまりいない。

もちろん、スーパーや大きなデパートは別だが、会計の時はやはり、「ボンジョルノ。」と挨拶し、お釣りを受け取る時は「ありがとう、良い1日を!」と言っている。

私は何ヶ月もかけて、買い物をしたり、他の人を見ながら、「ああ、こういう風に言うんだな。」と学んでいったが、特にこういう習慣について深く考えたことはなかった。

イタリアでは店員の方がえらい

しかし、ヴェネチアに留学に来ていた日本人の学生が、面白いことを言っていた。

「日本だったら、店員が下で、お客が上でしょう。イタリアだと、逆なんですよね。」

確かに、言われてみればそうだった。

イタリアでは、店員はその店の主で、商品を見せてくれる人だ。

対して、お客は相手のスペースに入って、商品を見せてもらう側である。

だから、入る時もちゃんと礼儀正しく挨拶するし、「見ていいですか?」という言葉も出てくるのだ。

イタリア人の店員で、外国人の客について、こんな風に文句を言っている人がいた。

「勝手にお店に入ってきて、なにも言わずに店内をうろついて、勝手に出ていく人がいるでしょう。あれには耐えられないわ。」

あ、それって、日本だったら普通のことだな。。。と思ってしまった。

全然悪気はないのだけれど、文化の違いって、すごいものである。

私だって、イタリアに来たばかりの頃は、いつもそうしていたと思う。

日本に帰ってみると

しかし、イタリア滞在も2年を過ぎ、日本に帰ると、今度は日本の方がちょっとおかしくも思えてきた。

店員さんの丁寧な言葉遣いや笑顔。

非常にありがたいのだが、「疲れないかな?」と心配になった。

それから、カバンと商品を両手に持って、レジに向かった時のこと。

店員さんが、両手が塞がった私を見て、さっとカゴを持ってやって来た。

「どうぞ、お荷物入れにお使いください。」と。

たかだか千円の買い物で、なんということだろう。

そして、帰りには扉を開けて、「ありがとうございました。」と深々とお辞儀された。

イタリアで普段から「買わせていただく」態度が身についてしまった私には、それが何か異様なことに思えてしまった。

日本人がイタリアに行くと

こういう接客に慣れている日本人がイタリアに行くと、イタリア人には無礼に映ってしまうことがある。

もちろん、観光地で常に外国人を相手にしている店員さんであれば、別に驚きはしない。

私の母も、イタリアでお店にツカツカ!と入っていき、サカサカ!と商品を手に取るので、隣で見ている私はハラハラしていた。

でも、店員さんは、別に怒っているわけでもなく、普通に受け入れていた。

明らかにお金を持った外国人の観光客は、それはそれでいいのだろう。

日本から観光に来た私の友達には、お店に入るときには「ボンジョルノ。」と言うように伝えていた。

だけど、見ていると、たいていの日本人は、無言で入って行くし、まだまだ観光客というものに耐性がない小さな職人の店などは、そういう客に対してムスッとしている。

「客としての礼儀」がなっていない客には、売るものがないと言わんばかりだ。

そもそも、礼儀とは何なのか

そもそも、どうすれば、相手を尊重していることになるのか。

日本にずっといると、あまりピンとこないかもしれない。

だが、日本人なりの礼儀は、外国だと無礼になることもあるのだ。

イタリアでの礼儀とは、まず「愛情(アモーレ)」だと私は思う。

まず、ハグとキスについて考えて見て欲しい。

あれを、日本で「礼儀正しい」と呼ぶことがあるだろうか?

日本では、抱きしめたり、ほほを合わせたりするのって、「親しい」とは言うけれど、「礼儀正しい」とはかけ離れたイメージではないだろうか。

相手を尊重するからこそ、距離を取るのが普通だと思う。

でも、イタリアでは、一般的にハグもキスも、礼儀正しい行為だ。

知っている人に会って、「こんにちは。」で通り過ぎたら、それは失礼というか、冷たい感じがする。

最低限、「元気?」と聞くのが礼儀だし、長く会っていない人だったら、「最近、どうなの?聞かせてよ!」と言うだろう。

とにかく、相手を心の隅に住まわせること。

店員さんでも、顔なじみになったら、ちゃんと「元気?」と聞いて、言葉を尽くすこと。

日本では黙っていることが礼儀になるが、イタリアでは、言葉を尽くすことが礼儀になるのだ。

だから、「イタリアはアモーレの国」だと私は思う。

アモーレの国 イタリア

なんだか、買い物から少し話がそれるようだが、そもそもの文化の違いの根本はここにあるのではないか。

「私に対してアモーレのない人は、どうでもいい。」

イタリアに暮らしたのは6年だけだが、そんな声が聞こえる気がする。

レジでの会計で、無駄話をしている人って、日本の都会ではほとんどいないだろう。

でも、イタリア人はそこで、ちょっとした会話をする。

「今日の天気」「政治への批判」「私の体調」「息子の近況」。

なんでもありだが、相手に言葉を投げかけることは、マナーの一種だ。

相手と自分の状況をシェアすることは、大事なコミュニケーションだ。

ただ、これを「礼儀正しい」という表現が完全に当てはまるのかは、ちょっとわからない。

でも、こういう態度が、イタリアで受け入れられやすいことは確かだろう。

バスに乗るのでも、店でお金を払うのでも、老若男女問わず、みんな声をかけ合っている。

前述のお釣りを投げてよこしたレジの女性も、何度となく通い、言葉をかけるようになったら、とても優しくなった。

彼女にとって、知らない通りすがりの観光客なんか、どうだってよかったのだ。

でも、自分に愛情を与えてくれる相手なら、話は別だ。

結局は、みんな愛されたいし、人に大事にされたいよな。

当たり前のことだけど、そう思う。

人を人として扱う

日本の接客の素晴らしさに、全く異議はない。

でも、お客さんの側は、店員さんをちゃんと人間として扱っているだろうか。

日本では、お客さんが黙っていても普通だし、無口はマナー違反ではない。

だけど、私たちは「相手に愛情を与える」ことに無関心すぎないだろうか。

言葉を尽くして、相手に愛情を分けてあげることも、もうちょっとあっていいと思う。

だって、店員さんだって正直、千円の商品を買ってくだけのお客なんて、どうでもいいはずだし、一度しか合わない観光客に、親しみは感じていないはずだ。

もらっているお給料だって、満足なものではないかもしれない。

そんな相手に、客は一体なにを求めているのだろう。

店員さんも少し気を抜いて、楽な接客が出来たらいいなと思う。

そして、誰だって、もとはワガママな人間なのだから、少しの関わりの時はお互いに、「アモーレ」のかけらを与え合っても、いいのではないだろうか。

最後に イタリアの楽すぎる接客

最後に、これは行き過ぎなものもあるが、私が見たイタリアの気楽すぎる接客を紹介したい。

まず、バスの運転手さん。

自分の好きな音楽を車内に大音量でかけながら、携帯で話しながら(!)運転していた。

しかし、乗客が窓枠に足をかけて座ったり、カーニバルの時に音楽隊が乗り込んできたりしても、誰も止めることはないので、イタリアのバスは客にも運転手にも寛容なのかもしれない。

また、高級なタオルのお店にて。

店員さんは、お友達と携帯で話し込んでいた。

どうしても会計をしたくて話しかけると、片手で話しながら、会計してくれた。

また、スーパーのレジは、店員さんは座っているのが普通である。

それから、聞いた話では、歯医者さんが歯を削りながら、ずっと自分の好みの女性について助手のお姉さんと話していたという。

私の結論としては、日本とイタリアは足して2で割るといい、である。

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